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「主体的に書いて学ぶ」意味

教育・学習のICT化が進む昨今、改めて「書いて学ぶという事は何か」について、 教育現場の最前線にいらっしゃる先生方に取材を行いました。

対象学年
小学生(1~6年)、中学生
科目
その他

中学受験で多くの小学生を受け入れる芝中学校・高等学校校長の武藤道郎先生、教頭・入試広報部長の佐藤元紀先生に、中学入試から見える昨今の小学生の学力の傾向や中学校での教育、ノートの取り方についてお話を伺いました。

芝中学校・高等学校について

学校法人芝学園(芝中学校・高等学校)は、東京都港区、東京タワーを間近に望む私立の中高一貫教育の男子校です。
その歴史は古く、江戸時代に浄土宗の大本山である三縁山広度院増上寺が開いた学舎がルーツです。増上寺には日本全国から優秀な学僧が3,000人以上集まり、その念仏が全山に鳴り響いていたといいます。芝は、全国に数ある学校の中でも数少ない、浄土宗が創立した宗立校です。

中学入試から見る昨今の小学生の傾向について

武藤先生

 近頃、自分の名前をサインのように書く子どもがいますが、正直、何と書いてあるのか読めないレベルです。入試だと願書の番号と照合しているので名前が読めないから不合格というような話はありません。しかし、書き取りの練習などでノートのマス目を何ページも埋めて『自分はこれだけ字を練習したんだ』とクラスメイトと競うようなことは、一見意味がない作業のように感じますが、文字に親しむという点では大切なことなのではないかと感じています。

 受験生や保護者の方には、字は「丁寧に書いてください」とお願いしています。下手でも丁寧に書いてくれたら、一生懸命に読みます。もし10段階で6以下の丁寧さだったら、それは丁寧さが足りないのでは? と伝えるようにしています。

 芝の国語は6年前からオール記述式となっています。冒頭に漢字問題を10個用意していますが、それ以外はすべて記述式です。

佐藤先生

 入試なので、読めない文字を受験生が書いてくるということはありませんが、それでもやはり普段のクセが出てしまったり、ひらがなの「や」と「か」の区別がつかなかったり、解答欄の最後までちゃんと書けなかったりなど、書き慣れていない受験生が少なくないということを強く感じます。

 受験生には『書くというのは運動で、体育と同じです。トレーニングを続けないと50分で試験を解くだけの体力がつきません。ですから、書く習慣は大切です』と伝えています。

武藤先生

問題をオール記述式にしているのは「書く力のある小学生に来てほしい」という学校としてのメッセージでもあります。
 文字を書くことから離れていく時代で、手紙を書かない、年賀状も書かないなど、文字を書く機会が少なくなっていると思いますが、「読む」のと「読んだことを書いて、もう一度自分で読む」のではまったく意味が違います。書く経験が発想力につながります。発想力がないと、一つのパターンを学んでも他に応用ができません。

 また、理科の授業から感じることは、実験の考察も昔と傾向が違うということです。本来「失敗したことを、いかに失敗したかを考察する」が実験の意義の一つなのですが、提出レポートには失敗したことを書いてこないことが多いです。いかにも成功したように文献を見て書いてくる傾向があります。

 ICT化に伴い本校も個人のPCの導入を予定していますが、書くことから離れないように、私の化学の授業では黒板の板書を生徒たちにタブレットで撮影させて、授業中は聞くことに集中してもらっています。あとで撮影した板書を拡大し、ノートに書き起こさせるようにしています。板書はノートをまとめる上での見本です。

 たとえば、生徒が自分なりに考えた答えを書いてきたら、その答えを導き出した考察の道筋を書かせるようにすると、その生徒の学力は確実に伸びると思います。

手で覚えることの大切さ

武藤先生

 子どものうちに文字を書かせる機会が減っていると感じています。日記などもつけていないように感じます。

 私は、化学の授業で「この時間内に、何でも良いからベンゼン環を100個書いてみよう」といった課題を出すことがありますが、やはり手を動かして、たくさん書いた生徒は伸びます。
 次は文章力です。書いている内容や発想は面白かったりするのですが、ひらがなばかりで漢字がとても少ないことがあります。書かないとどんどん漢字を忘れてしまうことになります。

 昨今のスマホの普及、デジタル化の推進により、環境への配慮もあって、なるべく紙を使わないという傾向はあると思いますが、それだけがSDGs※に合っているということではないと思います。たとえばコピーの裏紙なども使えば紙を無駄にしないことができます。本来ノート1冊には相当な知識が詰められるはずです。江戸時代は昼夜を問わず筆で書き写すような教育がありました。昔の人と比較して現代人の脳が300倍くらいに進化しているなら話は別ですが、そんなことはないと思います。現代の人たちが文字を書かないのはとてももったいないことだと感じています。昭和の話ですが、私達の頃はよく「手で覚えろ」と言われたものです。

※SDGsとは持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals),2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標。

佐藤先生

最近の子どもたちは手で覚えず、見て覚えようとする傾向にあります。たとえば漢字の書き取りでも、最初はお手本を見ながら丁寧に書くのですが、後のほうになると、分かったつもりになって、お手本を見ず、自分の書いた文字を見て書いてしまうので、その後ずっと間違えたまま書き続けることがあります。そのように見て「覚えたつもり」になることは最近の傾向だと思います。

 校長(武藤先生)が字は下手でも丁寧に書いてくださいという話をしましたが、最近、受験生の保護者の方から「下手でもどこまで許してもらえるでしょうか?」という質問をいただくことが増えています。
 たとえば「干す」という漢字の下の部分をはねてしまうと「于(う)」という別の字になってしまうので、これを書き違えると意味が通らなくなってしまいます。ですから、受験生や保護者の方には「下手でも一画一画を丁寧に書くように」と伝えています。

武藤先生

 入学後に、ある程度授業が進んだ頃に、B4サイズの紙の真ん中に化学物質を書いておいて「この物質から連想するものを全部周りに広げて書け」という問題を生徒に出したことがありますが、書けない生徒が多いですね。
 それは、普段から字を書いたり、自分が書いたものを見直したりすることで「もっとこうした方が良かった」等のイメージが湧く前に次の課題に行ってしまうことが原因で、生徒の想像力や発想力が十分に育っていないからではないかと思います。だから「字は書いたほうが良い」と生徒や保護者の方に言っています。

多様性と学びに向かう力

武藤先生

中学入試というのは「その時点でその子がどういう学力をもっているか」を示しているだけですので、芝の入試が「国語はオール記述、算数は解答だけ、社会は120文字読解記述、理科は物理・化学・生物・地学と総合問題」というのは『小学校の時点で、各教科にこういった力がある子に入学してほしい。その子なら入学後はこういう風に伸びていくだろうな』というねらいと、芝の教育を理解してくださるご家庭に来てほしい、という思いがあるからです。
ですから、中学入試の時点での傾向と、将来の大学進学や進路とは全く違う話です。「理科が好きだから理系」というようなことではないですし、入学後に芝のカリキュラムに子どもたちがどう向き合って自分たちの未来を考えていくかによっても大きく変わります。いわゆる勉強以外のことも、芝では重視しています。

 進路は生徒一人ひとり違いますし、数年以内にいわゆる「文系・理系」という考えはなくなります。文理が合わさって統合されると思います。
 たとえば一橋大学に行くのなら理系にいた方がプラスになることもあります。なぜなら、数学ができる生徒のほうが有利なこともあるからです。だから昔と違って「文系だから社会科をやっておけば大丈夫」という時代ではないと思います。大切なのはオールラウンドにできるということで、すでにあるレベルより上の学力の生徒は、皆そうです。

  芝の教育方針は単に大学受験のためではないとの考えから、体育・音楽・美術・家庭まで「すべての教科が主要教科」という認識です。ですから、(技術家庭で)ちゃんとノミが研げない生徒は卒業できないです(笑)。

 現代では「多様性」という表現をよくしますが、元々、教育にはその一つひとつの内容にメッセージがあり、多様性が備わっているのです。たとえば、生徒にノミを研がせるのは何故か、そこには「道具を大事に、物を大切にする」というように、日々の生活の中で生きていく力を身につけるのも学校の大切な役目だと思っています。
 仏教には「自灯明」「法灯明」という言葉がありますが、それを分かりやすい言葉で表現すると「ありのままの自分を引き受ける覚悟」です。芝の生徒にはそういう力をつけて卒業させてあげたいという思いがあります。
 ありのままの自分というのは、実はなかなか難しいし、それを理解するのもまた難しい。そして、ありのままの自分がわかった時ほど、心が折れたりする。ですが、一生懸命頑張ったからこそ挫折するのです。ちゃんと頑張ってないと、人は挫折なんてできません。

 生徒によく言うのは「失敗したら反省はする。反省したらすぐ笑え」です。笑えない反省は、反省してないです。失敗してもいのちに別状がない限り笑えばいいんです。

 それはまた、まず自分を知らないと何も動かない、ということです。だから、ありのままの自分を「受け入れる」ではなく「引き受ける」ということです。生徒でも、自分のやったことにはきちんと責任を取らなくてはいけない。そして、それは私たち教員が襟を正して、しっかりと生徒に教えていかないといけないと考えています。

家庭と学校との関係、学校がやるべきこと

武藤先生

生徒たちの抱えている様々な悩みや言語化できないことも、学校は「学校というエリア」内でしか聞いてあげることができません。だから学校が生徒を守ろうとするなら、学校にいる時間の中で守ってあげないと駄目だと思います。
 それを今の教育の用語で言うとすれば「学びに向かう力」になるのではないかと思います。一つひとつの学校生活の中で生徒をその気にさせたり叱ったりといった事をご家庭と切り離した状態でできると、すごく良い部分が生まれてくる生徒も大勢いると思います。それぞれの生徒がいろいろな引き出しを持てるように、きちんと言葉をかけてあげたりすることがとても大切だと思います。

 これはたとえ話ですが、人の財布からお金を盗んでしまった子がいるとします。その子に「何が悪かったと思う?」と訊いた時に「お金を盗んだのが悪いです」って答える子は、本当の意味では反省できていないと思います。そうではなくて「自分の心の甘さ」であるとか「何故自分がそういう風になってしまったか」をきちんと話ができること。きちんと自分に向き合って「あの時こう思えば自分を止められた」とか、そこまで話ができてはじめて「この子は大丈夫だ」と考える訳です。
そこまでいかないと、通り一遍だけの話になってしまいます。
どの部分まで真剣に考えるのか、どこまでが踏み込んでいいラインなのか、行き過ぎてしまわないように教員が考えないといけない部分もあります。

 保護者の方にお願いしたいのは「芝の親」になってください。ということです。学校行事にしても、コロナ禍でいろいろなお考えがあると思いますが、何年か共に過ごした保護者の方からは何も言われません。お付き合いの中で「芝はいろんなことを考えながら、芝の独自ルールの中できちんとやっている」というご理解とご信頼をいただけているからだと思います。

 教頭は「芝はご縁の学校ですから」と言います。ご縁を大切にし続けることが大切だと思います。

佐藤先生

 山号が「三縁山」である増上寺は関東十八檀林の筆頭ですから、当時の学僧の中でも「増上寺で学ぶ」というのは大きな意味のあることでした。本校も、やはり説明会に来ていただいて「芝はこういう学校です」と理解していただいた上で6年間ご縁が結べるのでしたら、それが一番だと考えています。
 入学する前から繋がりができると、入学してからも芝の教育についてご理解いただけます。でも、説明会などに参加しないで学校のことをよく知らないまま入学してしまうと、ご縁を結んでゆくのにどうしても時間がかかってしまうように感じます。

一冊のノートからわかること

武藤先生

 ノートの話に戻りますと、やはり字を書くことが少なくなっている子が多くなっていると思います。生徒の中にはパワーポイントで授業をするとノートを書こうとしないで「パワポの資料をください」と言う生徒もいます。そういう生徒には「頼ろうとしている時点でスタートが遅いぞ」と伝えるようにしています。
 今年は従来のパワーポイントの資料のように空欄を埋めていくような表示の仕方ではなくて、どんどん上に文字を重ねていく方式で、ノートを取らないと見えなくなって、間に合わないような進め方もしています。

佐藤元紀先生が生徒さんのノートのコピーをご紹介くださいました。

佐藤先生

 こちら(写真)は今年の1年生の国語のノートです。
 メモを書くときは揃えたり、絵を描いたりしながら理解力を高めたりしています。線も生徒自身で引いています。板書とは関係ないが、先生が口頭で述べた、内容と関係のあることを関連づけてまとめて書いています。
 先生が話していることはすべて教材になり、無関係なものは何もないです。ノートとは自分で編集するものなのです。綺麗なノートを取れるというのはこういうことだと思います。
 このようなノートを作れるようになるには、やはり書くという習慣をつけること、面倒くさがらないことが大切だと思います。

武藤先生

 私は、ノートは無地と方眼紙が良いと考えています。生徒が自分で授業の内容をレイアウトして真ん中に何を置くかを考えたり、授業で先生が話したことその内容とつなげたりすることで生まれてくるものが数多くあると思います。
 「東大生のノート」に関する本が今でも売れていますが、東大に入る生徒さんの中でも「全部頭に入っているのでノートを取らないです」という人もいます。「ノートを取りさえすれば良い」というものではないと思いますが、全員がノートを取らないという真似をしてしまうのはどうかと思います。
 これは私見ですが、ノートを取って総合的にやる生徒とノートを取らないで頭の中に記憶してしまう生徒では「空気の読み方」が違うように思います。ノートを取れる生徒の方が、いろいろな引き出しを持っている傾向が強いと思います。

 毎朝、7時から9時は校門に立って、全校生徒を検温し手指消毒する係を担当しています。
コロナで色々と大変な状況ですが、生徒のいろいろな面に触れられるようになったのは大きなことだと思います。ですから、いま最も芝は良い学校になっているのではないかとも思います。

 最後は、生徒を応援してやることしか出来ないです。応援してやることが一番。人は、ありのままの自分を引き受けなければならない。生徒にはそれを形にして、最終的に社会に少しでも貢献できる人になってくれればいいと思います。

 我々の最大の命題は「人生を面白おかしく、そして楽しくやれるかどうか」。
 生きていくって、厳しい。でも、人それぞれの中で楽しくみんなでやっていく。そういうことがわかるところに、学校に行く意味があると思います。
 そして節目節目に自分で活用してきたノートの最後のページに、心のつぶやきでもいい、「ありがとう」の文字が書かれれば、世の中に一冊しかない自分の歴史を語れるノートになるのではないでしょうか。
 そして将来、そのノートを自分が、または誰かが、ページをめくることは、今の私達には誰も想像できないかもしれません。

結び

 今回の取材を通し、小学校で主体的に書くことをたくさん経験した生徒は、ノートを編集する力が身につき、理解する能力を高めることができる。さらに豊かな発想力を持つ人に成長し、人生を豊かにすることができると感じました。

学校法人芝学園(芝中学校・高等学校)                                       
〒105-0011東京都港区芝公園3-5-37
TEL:03-3431-2629(代表)
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